養源寺 縁起


松平家使用のお香入れ

養源寺は日蓮聖人を開祖とする日蓮宗の寺院で総本山は山梨県身延にある「久遠寺(くおんじ)」です。

戦国時代に出雲の松平隆政(徳川家康の曾孫)の母である養源院殿妙荘日長大師の発願により、もと荏原群浜竹村(現在の大田区西糀谷三丁目附近)にあった本成寺を、松平家の所有である現在の地に移して養源寺と改称、池上本門寺第十八世の圓是院日耀上人を迎えて慶安元年(1648)に開創されました。

 

以来本門寺歴代住職の隠居所となりましたが、享保四年(1719)から六年(1721)の間、八代将軍徳川吉宗公が鷹狩の折には、そのお膳所に定められたと徳川実記(徳川家の公式日記)に伝えられております。

文化元年(1804)火災により全焼。その後智海院日勝尼を初代として尼僧寺として復興されましたが、昭和二十年(1945)尼僧寺の制を廃して現在に至っており、ご本尊として一ツ橋家より奉安された一塔両尊(宝塔の両脇に釈迦如来と多宝如来像)が安置されております。

 

日蓮宗と徳川家は歴史上とくに関わり合いが無い様に見えますが、家康公の側室でありました養珠院お万の方は日蓮宗の大信者で、紀州徳川頼宣公(八代将軍徳川吉宗公祖父)と水戸徳川頼房公(子に徳川光圀公)を御生みになられました。その後紀州徳川家は池上本門寺の檀徒となり徳川家と日蓮宗の関係はより深いものとなりました。徳川家は江戸末期までお万の方の熱烈な信仰という御縁によって支えられてきたことは事実であります。

 

記述にはありませんが、研究内容を調べるとお万の方と養源院様は何方かで接触され、養源院さまはお万の方の篤い信仰に感激し、自らも日蓮宗の信仰に入られたものと考えられます。

その信仰の証として養源院様はお万の方のお戒名である養珠院の「養」の一字を頂き、更なる日蓮宗の信仰に磨きをかけられたのだと推測します。

 

また、養源寺を建立することに多大なる尽力をされた養源院殿さまのご血筋も、今もなお日本において継承され続けています。


池上七福神・恵比寿さま

 池上七福神の中、この寺でお祀りしている恵比寿神はイザナギノミコトの第三子のヒルコノミコトとも伝えられ、漁業の神、商売の神として中世から広く信仰されています。右手に釣竿を持ち左手むで鯛をかかえ、岩の上に座ったお姿をしておりますが、エビス顔といわれるお顔が一番の特徴で、人々に敬愛される温和な笑顔こそ、除災得幸、家内安全、商売繁盛の鍵であり、人生の宝物であることを教えてくださっています。

恵比寿様は養源寺の本堂ではなく、右側のお客様用玄関にお祀りしています。お近くにお越しの際は是非お参りください。


養源寺の風景